島田紳助がM-1開設当初オール巨人を審査員にしなかった理由とは?同期大物芸人の熱い信頼について

お笑い論

はじめに

オール巨人師匠といえば、M-1グランプリの審査員の看板となっていますね。

毎回的確な審査と愛のあるコメントをしてくれて、全審査員の中で巨人師匠の審査が一番好きという人は多いのではないでしょうか。

しかし、意外なことにM-1グランプリの開設当初は巨人師匠は審査員をしておらず、第7回から審査員として出演しています。

当初から巨人師匠は紳助に審査員をしたいと伝えていたそうですが、紳助がそれをとある理由で拒否していたらしいです。とても感動的な話でしたので今回はそれをまとめたいと思います。

オール巨人とは

オール巨人は漫才コンビ、オール阪神巨人のボケ担当、吉本興業所属の漫才師です。

結成は1975年で、芸歴45年の大ベテラン。同期には明石家さんまと島田紳助がいる黄金世代で、いまや吉本興業のトップに立つ芸人の1人です。

島田紳助はデビュー当時、オール阪神巨人の漫才や、オール巨人のするモノマネを見て、才能の違いに愕然とし、正統派の漫才をすぐに諦めたというほど若手の頃から才能に溢れていたそうです。

また、漫才師としては未だに現役で舞台に立ち続け爆笑を取り続けることから多くの漫才師の尊敬を集めていますね。

審査員・オール巨人とは

巨人師匠はM-1グランプリ、THEMANZAI共に審査員勤め、愛情と説得力たっぷりの的確な審査を行ってくれます。

特にM-12007年にサンドウィッチマンを見た際の「なぜ彼らが敗者復活でなしに決勝に上がって来ていないのかが分からない。」と準決勝の基準に疑問を対する快刀乱麻なコメントや、キングコングのM-1に挑戦する姿勢を称賛したコメントなど、巨人師匠にしかできない説得力を持ったコメントが魅力ですね。

個人的に印象深いのはTHEMANZAIにおいて投票が全然入らずに敗退した磁石に向けて言った「辞めたらあかん。素晴らしいよ。」というコメントですね。他事務所の苦労人である磁石への優しいコメントに感動しました。

こうして考えるとオール巨人師匠は漫才師としても、審査員としても随一の尊敬を集めている人物だとわかります。

では、なぜ紳助は巨人師匠に審査員をしてもらうことを当初拒んだのでしょうか。

島田紳助が当初オール巨人を審査員にしなかった理由

これは紳助が深イイ話で語っていたのですが、紳助は審査員を希望するオール巨人に「まだ戦え」と言って断ったそうですね。

「漫才師として、これから出てくる若いやつらと戦っていてくれ」と漫才を引退した島田紳助は同期のオール巨人に頼んだそうです。

実際にオール巨人は漫才師として未だに現役バリバリですね。

かなり以前の話ですが、吉本の企画するLIVESTANDという大きなイベントがあった際に、お客さんは若い女性が中心で若手の人気芸人を見に来た人でいっぱいだったことがあるそうです。

ベテラン漫才師の多くもお客さんの層が合わずにスベッたり、中にはネタを流してやってしまうコンビもいたそうですが、オール阪神巨人は袖でお客さんをずっと分析していて、舞台に上がると若い女性のお客さんを大爆笑させたそうですね。

若手芸人たちはそれを見て現役でい続けるオール阪神巨人に対する尊敬の念を強く抱いたそうですが、それも2人が真剣に漫才に取り組み続けてきた証なのでしょう。

オール巨人師匠が今審査員として愛のあるコメントや的確な審査をし続けているのもそういった漫才師として戦い続けて来た歴史があるからに違いありませんね。

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