芸人たちにとっての「バカ殿」とは?「バカ殿」や志村けんがどういう存在だったのか

テレビ番組

はじめに

志村けんといえば子供からお年寄りまで誰もが知っている日本の国民的芸人であり、国民的スターでもあると思います。

笑いは細分化されるという島田紳助や松本人志とは対照的に彼は子供から大人まで楽しめ、時代を越えて愛される一つのキャラクターをシンボルとして持ち続けました。

バカ殿です。

それはドリフターズの作り上げてきた笑いとも一貫していて、数十年に渡りゴールデンタイムで放送される象徴的なキャラクターになりました。

長年愛され続けるコント、バカ殿ですが、それには多くの芸人が関わり、影響を受けてきました。

今回はそんなバカ殿と芸人との関わりを書いていきたいと思います。

バカ殿と芸人

バカ殿×ダウンタウン

まだ松本人志が黒髪だった頃から、つい最近まで繰り返しダウンタウンはバカ殿に登場しました。

志村けんが後輩ダウンタウンにむちゃくちゃするのがとても楽しそうで、それに応えるダウンタウンも萎縮や緊張は見られず本当に楽しそうに見える共演でしたね。

お酒をミックスして罰ゲームドリンクを飲ませあったら殿の格好のままゴルフをしたり走り回って転がしあったりとダウンタウンと志村けんの共演は見所満載でした。

浜田は近年もガキ使に一人で出演していました。

浜田ほど志村けんに愛された芸人は数少ないでしょうね。ハゲと呼んだり頭を叩いたりとめちゃめちゃなことをする浜田ですが、後輩ながら尊敬しているし信頼関係があるから良いんだと語る志村けんが印象的でした。

バカ殿×千鳥

志村けんと公私ともに仲が良いことも知られる大悟も千鳥としてバカ殿に出演していました。

この2組のコント番組でのやり取りは本当に面白かったですね。

大悟は志村けんについてこのようなことを語ったことがあるそうです。

お笑いの教科書でいうと10ページ目から始めちゃってんのよ。ダウンタウンさんのページから始めて、ダウンタウンさんのページに憧れて芸人の世界入ってるから。実は20年、お笑いの1ページ目をやらずに育ってきたわけ

志村けんとのコントは大悟にとってずっと読み飛ばしてきたお笑いの教科書の1ページ目から9ページ目を勉強している気分だったのでしょうね。

日本のお笑いは萩本欽一とドリフターズから始まったのかもしれません。

お笑いの壮大な歴史は千鳥にもしっかりと継承されました。

バカ殿×和牛川西

バカ殿に出演した芸人以外にもバカ殿との関わりが深い芸人がいます。

それが和牛川西ですね。

彼はM-12016年の後に出演したワイドナショーを始め、数々の番組で出演したい番組について聞かれていました。

その度に「バカ殿」とそう答えていました。

幼少期より、バカ殿や変なおじさんなどといった志村けんの番組が大好きだったそうです。

関西の漫才師として大成する川西ですが、関東コント師として志村けんは大きな影響を与えていたようですね。

バカ殿、志村けんにとっては関東関西といった垣根など関係ないほど人々に愛される力があったことを感じさせます。

バカ殿×岡村隆史

しゃべくり007に出演した際に、志村けん自ら2代目バカ殿に名前をあげたのが岡村隆史でした。

浜田、千鳥、ダチョウ倶楽部など候補はいる中であげたのは若き喜劇王岡村の名前。

岡村本人もバカ殿をやりたいと願っていたようで、志村けんにも強い尊敬を抱いていたようですね。

憧れの先輩からの指名に岡村はおこがましいとコメントしつつも本当に嬉しそうでしたね。

特番6人の村人に出演した際も、岡村は自身がバカ殿を継ぎたいと志村けんに話す一幕がありました。

数々のコント番組で大人から子供まで笑わせていた岡村に志村けんは自分に通ずるなにかを感じていたのでしょうか。

まとめ

ドリフターズ、バカ殿はいまテレビで活躍している芸人のほとんどが子供の頃から楽しんでいた番組です。

大悟の話すお笑いの1ページ目というのはとても言い得て妙ですね。

これからも多くの影響を与えていく存在になるのだと思います。

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