元会社員の芸人一覧!! サラリーマンから芸人になっても遅くない!?

おぎやはぎ芸人

元社会人から脱サラして芸人になった人は意外に多い!!

お笑い芸人と言えば、お笑い養成所に通うなどして若い頃から芸人を目指す人がなる職業というイメージが強いです。

実際、多くの芸人が高校や大学の卒業と同時にNSCなどの入学し、芸人になるというコースを辿っています。

ですが、中には一度普通のサラリーマンとして社会人になってから、芸人になるという夢を諦めきれず、会社員を辞めて芸人になった人もいます。

そして、芸人になるのが遅くても、お笑いの世界で成功を治めた芸人は意外に多く存在します。

ここでは、元サラリーマンのお笑い芸人を一覧形式で紹介していきたいと思います。

元会社員の芸人一覧!!

矢作兼(おぎやはぎ)

おぎやはぎの矢作兼は高校卒業後、貿易会社の海外事業部に入社しました。

当時英語がほとんどできなかったにも関わらず、入社時の面接で「僕から英語をとったら何も残りません」と嘘をつき、入社後1日でバレてしまったというエピソードを語っています。

しかし、英語の能力は低かったものの、上海支店の支店長を任せられそうになるほど、営業成績が優秀だったようで、「何かトラブルがあったら矢作を呼べ」と言われる程交渉が上手だったそうです。

そうした人並み以上に機転が利き、人に好かれるという矢作の才能は芸人になってからも存分に活かされていることが感じられます。

小木博明(おぎやはぎ)

おぎやはぎの小木博明は高校卒業後、テーマパーク(オリエンタルランド)に入社し、その後旅行代理店、タワーレコードへと転職をしています。

ラジオ番組の中で、オリエンタルランドに勤めていた時は、ディズニーシーの幹部候補生として入社したと語っています。

しかし、ディズニーシーの建設が遅れ、小木が入社してから10年後に完成することになり、待ってられないと転職を決意したそうです。

その後、旅行代理店やタワーレコードでも小木は重要な役割を与えられていました。

やはり芸人として成功できるような人は、普通の会社員としても優秀なのだということがわかります。

伊達みきお(サンドウィッチマン)

サンドウィッチマンの伊達みきおは、福祉関係の専門学校を3か月で辞めた後、介護用品を扱う企業へ就職していました。

伊達はスゴ腕の営業マンとして活躍しており、入社わずか2年で仙台本社で一番大きな地区を任されていたようです。

風貌からも営業として優秀な空気が伝わってきます。

そんな中、入社5年目の頃、自身の父親が他界したことで、伊達の心境に変化が訪れます。

「人生なんてあっけなく終わってしまう。悔いがないようにやりたいことをやろう」 と決意し、富澤と共に夜行バスで上京し、芸人としての活動を開始します。

増田英彦(ますだおかだ)

ますだおかだの増田英彦は短期大学を卒業し、関西外国語大学の3年に編入して卒業後、大手広告代理店に入社しました。

営業マンとして実績は残していたものの、サラリーマンとしての生活に限界を感じ、9か月間で仕事を辞めてしまいます。

その後、同級生だった岡田を誘い、ますだおかだとして芸人の道に進みます。

岡田圭右(ますだおかだ)

ますだおかだの岡田圭右は大阪外語専門学校を卒業後、文具メーカーのクツワに入社しました。

社会人の当時も面白いと評判で、新入社員で宴会部長に抜擢されたのは後にも先にも岡田だけだったそうです。

また、岡田は英検2級や秘書の資格も保持しており、仕事の面でも優秀だったことが伺えます。

そしてサラリーマン生活を約1年間続けた後、増田から誘われ、ますだおかだとして松竹芸能から芸人デビューします。

亜生(ミキ)

ミキの亜生は元々イルカの調教師になるという夢を持っていましたが、大学卒業後は訪問介護の仕事に就きます。

しかし、元々人手不足な業界で、激務だったこともあり、体を壊してしまい、1年ほどで介護の仕事からは離れることになります。

その後、アパレル関係の会社から内定を貰うも、先に芸人として活動していた兄・昴生のように芸人になりたいという想いが強く、内定を断って芸人になります。

母親からは兄弟が2人とも芸人になることについて強く反対されましたが、父親が「30歳までは好きにやってええんちゃうか」と後押ししてくれたことから、兄弟コンビとして活躍することになります。

レイザーラモンRG(レイザーラモン)

レイザーラモンRGは、立命館大学を卒業後、トヨタ系の自動車ディーラーとして就職します。

誰もが羨む大企業への就職を果たしますが、笑いへの想いを断ち切れず、3ヵ月で会社を辞めることになります。

退職を申し出た際に、上司から「若い頃は転職をしてもいいが、これだと思うものを見つけたらそれを続けなさい」という言葉を伝えられ、今でも心に残っていると語っています。

レイザーラモンHG(レイザーラモン)

レイザーラモンHGは関西の名門、同志社大学を卒業後、生活協同組合コープで働いていました。

そこでは新人は夏までに1台20万円もする冷蔵庫を4台売るというノルマが課されるのですが、HGはノルマの倍である8台を売り上げ、脅威の新人として評価されることになります。

しかし、RGが退社したことをきっかけに、自身もお笑い一本で生活していくと決意し、わずか4か月で会社を辞め、お笑いの世界に足を踏み入れます。

当時の上司に退社を伝えると「夢があるなら言ってくれ」と言われ、円満に退社をしたそうです。

ホリ

モノマネ芸人のホリは、大学を卒業後、PR会社でサラリーマンをしていました。

子供の頃からお笑いが好きだったホリですが、大学時代に1度ぐらいはテレビに出てみたいという想いから、『笑っていいとも!』のモノマネ企画のオーディションに合格し、テレビに出ることになります。

そこから隔週で番組に呼ばれるようになりますが、結局はPR会社で広告の仕事をすることになります。

そんな中、自分の人生で一度ぐらいは挫折してもいいかな、という考えの下、3年以内に売れるという期限を決めて芸人になることを決意し、モノマネ芸人としての道に進みます。

まとめ

いかがだったでしょうか。

意外にも多くの芸人が会社員生活を経てから芸能の世界に入っていることに驚いたのではないでしょうか。

お笑いの世界に夢を見つつも、会社員の生活を送っている人は、今から芸人になっても遅くないのかもしれませんね。

また、ラランドは現役で会社員として働きながらフリーランスで芸人をしている珍しいコンビです。

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