目次
はじめに
フットボールアワーはM-1グランプリの第3回チャンピオンですね。
M-1初年度に結成わずか2年で決勝進出を果たし3年連続で決勝に進みました。
フットボールアワーは結成当初にABCグランプリ、上方漫才コンテストなどの関西賞レースを総ナメ、近くの世代の芸人からすると天才二人が組んだサラブレッドコンビと評価されていたようですね。
最近、中川家、ブラックマヨネーズ など過去のM-1王者について取り上げられたり語られることが多くありますが、フットボールアワーについて語られることはそれほど多くない印象があります。
個人的にはフットボールアワーはM-1グランプリにおいて史上最大といっても過言ではないほどの革命と成長を見せ、M-1グランプリの方向性を決定付けたコンビだと考えています。
今回は、過去のM-1グランプリでフットボールアワーが披露したネタ、その沿革を書いていきたいと思います。
フットボールアワーがM-1で披露したネタ
学生時代、エレベーターガール/M-1グランプリ2001
M-1グランプリ2001には結成2年目で決勝進出、優勝した中川家に次ぐ2番目の打順でネタを披露しました。
披露したネタはしゃべくり漫才、早口言葉で掴み、学生時代の話やエレベーターガールの話に展開していきます。
これは初期のM-1でよく披露されていた劇場でウケるネタの受ける部分をまとめて4分ネタにしたものですね。
後に後藤が語っていたのですが、他の賞レースでもかけていたテッパンのネタを決勝に披露しました。
ネタ中ですが、真顔の松本人志を初めとする審査員の顔がアップで抜かれ続けその前出番の中川家との圧倒的に低い点をつけられます。
全体では6位だったものの松本人志がつけた点数は55点
順風満帆な若手漫才師としてのキャリアを進んでいた二人にとっては絶望的な評価、後藤は後にこのあとに芸人の引退を考えたと語っています。
「ファミレス」「結婚式」/M-1グランプリ2002
フットボールアワーへの評価を一変させたのはこの年でした。
また、それはM-1グランプリの方向性を大きく変えることにもなったことにもなりました。
この年に披露したネタはまず、一本の軸を持ったネタにしていること、ボケの数が多くたくさんの笑いをとれること、そして前半のネタを振りにして後半の盛り上がりを作るという構成力を持ったネタであることが昨年とは明らかにことなりました
この年のフットボールアワーは予選で一番の点数評価、またボケとツッコミの間のうまさやテクニックの向上も凄まじく島田紳助からも一年で見違えたと評価していました。
よく、紳助がM-1は競技漫才だと語っていますがM-1の競技化に最初に気づきネタを磨いたのは間違いなくフットボールアワーでしょう。
昨年に麒麟が構成を活かしたネタで松本からの評価を得たのをヒントにして、一本の漫才のネタにも展開を作ること、笑いを後半に膨らませることを意識したネタ作りをしました。
また、テンポも早くして普段の寄席でやる漫才とは明らかに異なるM-1で、松本人志に評価されるための漫才を作り上げたのです。
M-1で勝てる漫才については島田紳助も後に語っていますね。このことを言われるまでもなく実践して、技術も向上させたフットボールアワーの漫才のセンスがすごいです。
昨年と同様のネタ作りをしたアメリカザリガニが最下位になってしまったのが対照的に移りましたね。アメリカザリガニは昨年3位ですが、M-1に前年踏襲は通用しないことを知らしめる結果となってしまいました。
松本はこの年の優勝がますだおかだだったことにラジオで激昂する一幕もありました。
この年は笑い飯が初めて決勝に出た年でもあります。今も続くM-1が次第に形作られて行く印象的な年でもありますね。
「結婚記者会見」「SMタクシー」/M-1グランプリ2003
基本的な漫才のネタの構成は昨年のまま、さらに技術を上げ、技術の天井を結成4年目にして叩いたとすら思わせた年でしたね。
松本人志は結婚記者会見のネタに97点をつけ、わずか2年で初年度の55点から42点評価を上につけた形になりますね。
ちなみにこの97点は松本人志個人の点数としては最高得点、これを上回る点数は未だかつてついていません。2010年のパンクブーブー、2019年のミルクボーイすらも同率の評価です。
この年は笑い飯が伝説の奈良歴史民族博物館を披露し、過去のM-1ではあり得ない656点を叩き出した年ですが、フットボールアワーはそれを上回る663点を取りました。
この年は笑い飯とアンタッチャブルの3組の最終決戦、M-1を開催してから2年、新しい漫才の開拓と技術の向上が目まぐるしく進んだことを感じさせる年になりましたね。
そして、その漫才の技術の進化を牽引していたのがフットボールアワーの進化だと感じます。
フットボールアワーは結成4年目で優勝という形になりました。年齢にしてもこの年の岩尾の年はM-1王者での当時の最年少、この年齢は後に霜降り明星が優勝するまで抜かれることはありませんでした。
フットボールアワーがどれほどの天才だったかを物語っていますね。
「ヒーロー戦隊」「取り皿」/M-1グランプリ2006
2年ぶりに王者の参戦となった2006年、過去のM-1王者が再度参戦する例は何度かありますがの第1号はフットボールアワーでした。
もはや円熟味すらも出てきたネタ、ヒーロー戦隊は掴みに30秒ほどかけるという攻めた演出までしてチュートリアルに次ぐ2位の点数を取りました。
この年再戦した理由は優勝時に松本から票を入れてもらえなかった後悔があったからだそうですね。
たった一人の男に認められるために王者になっても再戦する、芸人にとって松本人志はそれほどの価値があるのだということを感じさせるエピソードですね。
この年が2位でフットボールアワーのM-1グランプリは幕を閉じます。
四度参加して四度決勝進出の進出率100%、優勝一回、準優勝二回という凄まじい成績を残しました。
旧M-1の王者はますだおかだ、ブラックマヨネーズなど舞台やテレビで漫才をすることを大幅に減らしたり、新ネタを作ることをやめてしまっているコンビもいますが、フットボールアワーは未だ新ネタを下ろし現役で漫才を行なっていますね。
まとめ
フットボールアワーのM-1グランプリに残した功績はとても大きいですね。
構成力を活かした漫才というのは、後のパンクブーブーやスーパーマラドーナ、和牛といった組にも受け継がれていきます。
M-1グランプリの革命児といえば、南海キャンディーズ、スリムクラブなどの名前が多く上がりますが、全組に共通して言える4分間の漫才の構成というものに最も早く気づいたのはフットボールアワーとも言えると思います。
そういう意味では創世記にフットボールアワーが起こしたネタ作りの手法は後のM-1グランプリに多大なる影響を与えたと言えるでしょうね。
劇場で行う漫才ではなく、4分間での漫才の戦い方というものに合わせて漫才も技術も変化させていったことからM-1、ひいては漫才界の大きな成長につながったと思います。
また、M-1グランプリは初登場が有利とよく言われますが、3年連続決勝出場で優勝を果たしたのは笑い飯、銀シャリ、フットボールアワーの3組だけになっています。
鮮度が落ちていくのを技術でカバーしていくのも並々ならぬ努力の結果だと思います。
今後もフットボールアワーの漫才を見るのが楽しみですね。
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